TOPエンターテイメントOmosan Angle vol.24 ピーコ

Omosan Angle

オモサンアングル -フォトコラム-

オモサンエリアで活躍する
クリエイターのフォトコラムを紹介します。

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私が青山に住むようになってから28年になります。
きっかけは深夜にTVやステージが終わってから横浜の家に
タクシーで帰宅する事が多く、経済的にもしんどかったので、
東京のどこかに部屋を借りたいと思ったことでした。

その頃、ファッション関係の友人達とよく行っていた表参道の
「鳥政」のご主人になんとなくそんな話をしたところ、
ご主人の家を建て直すので、お母様用としてマンションの
一部屋を用意してあるから、そこを使ったら?という話になりました。
すぐに話が整って、住むことになったのが根津美術館の横の道を
1本入ってすぐのマンションの3階でした。

その頃の南青山の住宅には高さ制限があり、
根津美術館辺りでは飲食店も開くことが出来ない状態でした。
住んでみると、閑静なところで、朝は鳥の声で目が覚めるし、
根津美術館のお庭の木々が季節の移り変わりを感じさせてくれる
素晴らしい住居環境で、大好きな街になりました。
買い物は表参道の大通りまで行かなくてはならなかったけれど、
根津美術館の前の信号から歩いて行く西側は
本当にお金持ちの住まいが多く並んでいました。
現在のプラダやカルティエがある辺りです。

紀ノ国屋インターナショナルのスーパーで買物する人達の
スタイルや物腰は、今でいうセレブ感たっぷりで、
まるで外国のような陳列の仕方に溜息をつきながら
ショッピングをしていました。
紀ノ国屋から2~3軒ほど表参道の交差点方向に戻ると、
「ドンク」がありました。(現在のケンタッキー辺り)
30年ほど前にはまだバゲットを焼くパン屋さんが少なく、
ドンクのバゲットを裸のまま手に持って歩くスタイルが
ファッションだった事が想い出されます。

現在、あの頃の表参道を思い出させてくれるところは
本当に少なくなったけれど、大坊コーヒー店の前を朝歩いていると、
ふくいくとしたコーヒーの香りがしてくるのが嬉しいのです。
観光地じゃなかった頃の表参道の香りです。

文/ピーコ 写真/株式会社紀ノ國屋提供

ピーコ

ファッション・ジャーナリスト

ラジオ・テレビへの出演、講演など多岐にわたり活躍。ファッション・ジャーナリストとして服飾評論はもとより、「ピーコのシャンソン&トーク」の会も定期的に開催しており、2004年1月にはシャンソン歌手としてCDデビューを果たし、活動の場を広げている。