TOPエンターテイメントOmosan Angle vol.20 丸山 敬太

Omosan Angle

オモサンアングル -フォトコラム-

オモサンエリアで活躍する
クリエイターのフォトコラムを紹介します。

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僕は神宮前の三丁目で育ちました。
だから僕にとって原宿は文字通り故郷であり特別な場所です。
東京オリンピックの後に生まれた僕にとっては、
原宿が、HARAJUKU、になっていくのと共にあったので、
子供時代と、小学、中学、高校。文化服装学院に通い、
ファッションを謳歌し、大人になるまで、
それこそ僕の変化を共に、街もめまぐるしく姿を変え、
パッチワークのごとくエネルギーを持ち進化してきました。
僕の初体験というもののほとんどが、この街と共にあるのです。

初めて歩いたのも、初めて自転車に乗れたのも、七五三のおめかしも、
初めての恋も、初めてのキスも(照)。
初めてのバイトも、初めてのケンカも・・・。
そして今もこの街で仕事をしています。
そんな僕にとって原宿を語るのは、僕の人生を語るのと
同じなんだなぁーと、今、気付いて不思議な思いがします。 
静かで、お洒落な住宅街だった子供の頃の原宿は、
僕が中学の頃から、若者が熱狂的に集まる街へと変化していきます。
のほほんと暮らしていた僕は、そのエネルギーを逆に嫌っていたのを
覚えています。高校生になって、乱立するタレントシップだらけの
竹下通りを、いかに通らずに駅まで行くかを毎日考えながら、
ラフォーレができ、ファッションに目覚め、竹の子族を
バカにしながら(本当は踊りたかったのだけど・・・笑)
バイトした日々や、文化に通いながら、せっせと通ったピテカンや、
CULUB"D"、モンクベリーズ、朝まで踊って、友達の始発待ちに
付き合った、フールズパラダイスの熱いコーヒー。

見上げた空。何か凹んだ事があると、
いつもこの歩道橋に立ってぼぉーっと、表参道を眺めます。
子供の頃、ゆれるのが怖くて渡れなかった歩道橋。
失恋した時も、受験に落ちた時も、仕事に行き詰った時も。
明け方の誰もいない表参道を見下ろしながらセンチにひたっていると
たいがいの事は、すぐに、バカバカしくなってきます。
そして又、歩き出せるのです。僕にとって原宿はそんな場所なのです。

今も、代々木上原から青山のアトリエまでの一本道を、
春も夏も秋も冬も、毎日、通いながら、
時々、橋の上から自分自身を眺めています。

写真・文 / 丸山 敬太

丸山 敬太

KEITA MARUYAMA TOKYO PARIS デザイナー

東京生まれ。文化服装学院卒。1987年に日本のアパレル企業でキャリアをスタートさせる。1990年にフリーランスとしてミュージシャン、俳優の衣装デザインを手掛け、1994年に東京コレクションデビュー、1996年に毎日ファッション大賞新人賞を受賞し、1997年にパリ・コレクションデビュー。1998年、FECデザイナー賞受賞。1999年『花の手仕事』を文化出版局より出版。繊細なビーズ刺繍、パッチワーク、華やかな花の刺繍など、手間隙をかけて作られた美しい手仕事のディテール。季節を愛でる日本人の繊細な心と、絵画的な大胆な色使い、ドラマティックなストーリーを感じさせる服づくりは、フェミニンでエイジレスな仕上がりで、自分のスタイルを持つ大人の女性をイメージしている。年代を問わず多くのファンに支持されている。