TOPエンターテイメントOmosan Angle vol.28 Michou

Omosan Angle

オモサンアングル -フォトコラム-

オモサンエリアで活躍する
クリエイターのフォトコラムを紹介します。

NEWS TOPICS

80年代の表参道。街行く人が、黒地にshu uemuraがプリントされた ショッピングバッグを誰も彼も持っていた時代。 その頃の僕は、表参道を歩いた記憶がない。いつもこの参道を走っていた。
19歳のときに姉のススメで、shu uemuraのメイクスクールに小田原から通いはじめ 明治神宮前駅から、いつも遅刻寸前でこの参道を走っていた記憶がある。

1年後、教室を覗きに来た人に“キミは何をしている人だ?”と尋ねられた。 美容師ですと応えた僕は“うちに来ないか? ”と声をかけられた。 その人は、シュウウエムラ本人だった。
“なんか変わっている”。僕のメイクをシュウさんはそう言っていたらしい。 それはシュウさんが亡くなってから知ったことだった。 僕にはいつも厳しく、認めてもらえてないとすら思っていた。 僕のことをとても可愛がっていたと、シュウさんが亡くなってから先輩方に言われた。 涙がとまらなかった。

メイクを学んでいた頃、一番になりたくて頑張っていたのではない。 二番でも、三番でもいい。ギブアップが嫌なだけだった。 出来るようになるまで、やりたかった。 学ぶことも、遊ぶことも、体当たりだったあの頃。

表参道の街並みは、あの頃と変わってきているけれど、街行く人の表情は変わらない。 この参道を歩く人達は、いつだってみんな楽しそうだ。みんなワクワクしている。 カップルも、子供連れも、みんなみんな、表参道を歩いているときは、 “自分の中のいちばんのオシャレ”を携えている。 この参道は、人を外見から変えていってくれて、内面を変えてくれるものがある。 自分の中の価値を高め、向上させてくれた街だ。

表参道に通ったあの頃から、僕の心の中に今でも変わらない思いと誇りがある。 シュウさんの思い出と共に。

写真・文/Michou

Michou

C-LOVe代表/Hair&make-up Artist

1983年、横浜理容美容学校を卒業。学生時よりサロンにて活動し、 1985年植村 秀氏に師事しアトリエ部門に参加。メイクアップスクー ルでの講師、雑誌やコレクション、広告等の仕事を手がける。1990年 に渡仏し、世界の様々な作品に携わった後、1995年に活動拠点を日 本に移す。LesDoigtsメイクアップスクールやヘアサロンC-LOVeを 主宰。VOGUEを始めとしたファッション誌やコレクション、広告のほ かセレブリティのヘアメイクを数多く手がけている。