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Special Guest

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Vol.32 Special Interview The DREAM Will Continue With Challenge KIMIKO DATE-KRUMM

KIMIKO DATE-KRUMM

どうやったら回復力が上げられるか。彼女にとって、24時間では足りないと語る。
やりたいことがあっても中々出来ない。テニスの為に、寝て、食べて、練習をして、トレーニングをして。全てはテニスの為に。“ 人生に大切な事は、全てテニスで学んだ” と言う彼女。その学びとは何なのか。

「もう全てが本当にそうです。試合をやっていても、決断をしなきゃいけない事の連続なのですよね。常にショットの選択をしなきゃいけないし、自分の状況を把握しなきゃいけないですし、自己分析をしなきゃいけない。その中で常に決断をして、失敗をしたら、また次どうするか?また次の決断が迫ってくるので。
だから、それ自体が本当に、自分で考える事の連続です。

今は女子の場合、オンコートコーチングって言うシステムがありますが、基本テニスと言うのは自分で考えて自分で答えを出してやっていかなくてはいけないので、だから私にとってはテニスコートでの試合が、人生の縮図と言っても良いぐらいです。
気持ちが弱ってくる時に、自分自身で奮い立たせるしかない。周りがいくら声を掛けてくれても、結局それをまた受け入れて、それを動かすのは自分自身だから。上げるも下げるも自分次第なのです。
上手くいく時も、その達成感を味わえるのも自分自身。負けて、後悔をして、それを感じるのも自分自身ですし。それを世の中に置き換えても同じようなことが起こる、その連続だと思うので。それがもう凝縮されているのが、テニスコートじゃないかな、と思うのです。」

力強い瞳で、そう語った。人生も決断の連続。上げるも、下げるも全て、自分次第なのだ。
‘92年バルセロナオリンピック、’96年アトランタオリンピックと2度もオリンピックを経験しているクルム伊達。2020年東京で開催されるオリンピックについて語ってくれた。

KIMIKO DATE-KRUMM

「自分が生きている間にオリンピックを経験できると言う事が、ラッキーだと思います。
前の東京オリンピックの時には生まれていなかったですし、だから、出場する、しないは別にして、それを経験できる時代に居られることはまず凄く幸せなことです。
そして、そこを目指せる人達っていうのも更にもっと限られた人達なのです。そういう意味では自分の国で、開催される時に生まれて、それに出られる年齢でいられるって言う事は、本当に凄い。
そしてそのチャンスは沢山の子供達にありますよね、6年後ですから。今はまだ子供でも、6年後ぐらいには良い年齢になってくると思います。
競技によってちょっと違うかもしれないですが、テニスで言えば今14,15歳ぐらいの子達。多分これから出てくる子達がオリンピックを目指すことになるのでしょう。 だから、本当にそういう巡り合わせは、運命とも思うのですけれども、そういう事を感じて欲しいですね。

私も2回バルセロナとアトランタと出場していますが、やっぱりオリンピックで、 普段には見えない、オリンピックに懸けるアスリートの想いは本当に凄いです。
また、その国の人達って言うのは、やっぱり頂点に懸けるその想いというものもあります。
出来るだけ色々な人達を見た方が良いと思いますね。」

原宿・表参道も6年後のオリンピック会場の街として、再び世界から注目される。
世界中を遠征で飛び回る彼女に、世界から見てこの街への印象を聞くと、クルム伊達らしい視点で語ってくれた。

「パワーを感じる場所だと思いますね。色々な事が生まれ変わるという事は、色々な所に、人の先の先を行けるという事。
テニスでも、何でもそうですけれども、アンテナを張っていないとダメ。やっぱり新しいトレーニングや練習法、新しいテクニック、色々なものをより早く自分のものに出来れば、それだけこうプラスになるので、そういう意味でも、この表参道エリアは凄くこうパワーのある、エリアなのかなと思いますね。最近は中々行くことが出来ませんけど。」

“Challenge”し続ける、クルム伊達公子。彼女は今、夢に向かう人へこんなメッセージを残してくれた。

「今、特に私はチャレンジの連続。毎日が、瞬間、瞬間がチャレンジの連続なのですけれども、やっぱりチャレンジをすると言っても、簡単な事をクリアする事は、簡単なだけに得るものの大きさもそんなに大きくないです。難しいことになればなるほど、その時のクリアした時の達成感や、喜びと言うものは、大きくなると思います。 だから、そういう事に向き合うことを恐れずに、きちっと向き合ってそれをクリアしようとする気持ちを持ち、難しいと思わずにトライはして欲しいなと思いますね。
若い人には特にだし、もちろん30代、それ以上の方にとっても、いくつになっても、チャレンジをする気持ちは失わずに。その気持ちを持ち続けることで、自分らしさ、自分の生きる幅、と言うのを広げられる事になると思います。年齢関係なく、皆にトライして欲しいですね。」

そう語る彼女に、これから“Challenge”したいことを最後に聞いた。

「これからですか?今は本当に90年代に一つキャリアでやるべきことをやり遂げたキャリアと、そして今第二回のキャリアと。二回も、自分の好きなことで、テニス人生を送れるという事も、世界中を見てみても他にないです。
第一回目のキャリアが8年なのですけれども、復帰から6年が経って、それに今は追いつくぐらいの年月になってきています。どこまでいけるかもわからないですし、明日になったら辞めているかもわからないですし(笑)。その日がいつ来てもおかしくはないだろうなって思うのですけれども。
とにかく、今戦える場所がある中で、自分のチャレンジは、出来るところまで、やりたいという気持ちはあります。反対に、どこが終わりの日になるのかな?って、自分でも悩むところがありますね。」

と、彼女は最高の笑顔を魅せてくれた。自分でも予測できない、未知なる力。
そう、クルム伊達公子は、未知への“Challenge” を楽しみ続けているのだ。
彼女の人生に、“Challenge”が消えることは、きっとない。

KIMIKO DATE-KRUMM クルム伊達公子 (エステティックTBC所属)
1970年9月28日生まれ。小学校1年生時からテニスを始め、兵庫・園田学園高等学校3年次に全国高校総合体育大会(インターハイ)でシングルス・ダブルス・団体で3冠。1989年高校卒業と同時にプロテニスプレーヤーに転向。翌年、全豪オープンでグランドスラム初のベスト16入り。1994年にはNSWオープン(シドニー)で海外ツアー初優勝を飾り、日本人選手として初めてWTA世界ランキングトップ10入り(9位)を果たす。
1995年にはWTAランキングを4位に上げ、1996年有明コロシアムでのフェド杯で当時世界1だったシュテフィー・グラフを撃破。1996年11月、現役を引退したが、2008年4月にプロテニス選手として「新たなる挑戦」を開始。「クルム伊達公子」名で選手登録し、復帰初年度に全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。その後、世界ツアーへ挑戦の場を移し、2009年WTAツアーハンソルオープン(韓国)にて優勝。
2013年には、全豪オープン、ウィンブルドンでともにシングルス3回戦に進出し、それぞれの大会最年長勝利記録を塗り替える快挙を成し遂げた。
クルム伊達公子選手が出場する、
「東レ パン・パシフィックオープン・テニス 2014」
<本戦> 2014年9月15日 (月・祝) ~ 21日 (日)
<予選> 2014年9月13日(土) ~ 15日(月・祝)
会場:有明コロシアム及び有明テニスの森公園コート
チケットに関するお問い合わせ:
東レPPO テニスチケットセンター:0570-06-9971(平日10:00-18:00)
大会に関するお問い合わせ 東レPPO テニス事務局:03-6838-9272
(平日10:00-18:00)info@toray-ppo.com